日本の危機?それとも恩恵?


やっと来たか!という感じです

【政府が毎年20万人の移民の受け入れを検討】
http://sankei.jp.msn.com/smp/politics/news/140313/plc14031319260010-s.htm

 

これは私も数年前から思っていたことでした。

現在の日本の人口動態、財政状況、などを踏まえると

避けては通れない大きな大きな問題です。

 

 

毎年20万人もの移民を受け入れるとなると

そうとうな軋轢がうまれるのは必須でしょうね。

 

 

すぐに考えられるのは労働でしょうか。

いわゆる単純労働や3K労働はきっと徐々に移民に取って代わると思います。

 

移民,日本

ただ他の移民を受け入れている諸国と違い、

母国語が英語ではなく、日本語なので、最初は言葉の壁はあるんでしょうが、

それも時間の問題だと思います。

 

 

アジア諸国を見ているので、よくわかりますが

アジア諸国には優秀でハングリーな若者たちがゴロゴロいます。

彼らはあっという間に日本語を覚えてくるでしょうね。

日本語は他の言葉と比較しても、とても難しい言葉だと思いますが、

生活のため、背に腹はかえられませんから、

そりゃもう必死で覚えてきますよ。

 

 

現にカンボジアやミャンマーに行きますと、

平均月収が1万円を満たない若者が

日本語を勉強して、少しでも話せるようになると、

平気で10倍以上のお給料を要求してきます。

 

 

少し話せると言いましても、まったく仕事レベルではないし、

中には片言の日本語しかできないくせに、それくらい要求してくる人もいます。

でもそれくらいハングリーというか、自己アピールが強いというか、それが現実な訳です。

 

 

単純労働だけでなく、知的労働に取って代わるのも時間の問題かもしれませんね。

日本はせっかく創ってきたものを「模倣」することにネガティブな感覚を持っていますが、

アジアの人たちは、そういう感覚はあまり持ち合わせいません。

「パクって何が悪いの??」

むしろどれだけ上手に模倣できたかということに、誇りを持ったりしますから、

ここら辺の価値観を持ち合わせて、接しないといけないと思います。

 

 

また彼らの多くは、英語を話せる人が多いですから、

ある程度、日本語もできて、英語もできる、かつ自国語もできる人が

どんどん増える訳です。

 

 

言葉ができるというのは、とても大きなアドバンテージです。

特にビジネスにおいても、チャンスと人脈が広がりますし、

その分だけ多くの顧客の創造をできることにつながりますからね。

 

 

ITリテラシーの低い人たちもどんどん仕事のチャンスが減ると思います。

医療業界にいるとITリテラシーの差、デジタルデバイドをとても感じるのですが、

アジアの人たちって思っている以上にITの知識がありますし、

少ない人でも学ぶ意識が高いですから、吸収が早いです。

 

 

アジア諸国では、

携帯1台買うのに、月収2、3ケ月分の費用がかかるのに、

若者たちはこぞって持っていたりします。

どうやって買ってるの?といつも疑問に思うのですが、

Skype、Facebookなどはみんながやっています。

 

 

のんきに友達申請だけしている場合じゃありません。

思考停止せずに、未来に向けてもっともっと脳汁を絞るべし!
日本,移民

そして一番の課題は、

日本人の「和」の心かもしれません。

日本人は和を重んじる民族で、その文化は本当に素晴らしく、世界に誇れる文化です。

 

 

ただその和の捉え方も

少しずつ変革に対応できるようにならないといけないと思います。

 

 

日本人のアイデンティティーは何かと問われれば、

「和」であるというくらい、「和」というのが染みついています。

 

 

少し歴史をひもとくと、「わ」とはかつて「環(わ)」であり、

それが「和」という字で表現されるようになりました。

「和」とは、話し合いがすべての「話し合い至上主義」の世界なんですね。

 

 

皆さんもご存じ、聖徳太子が制定した十七条憲法。

これは日出る国、大和の国・日本の最初の憲法とされていますが、

その十七条憲法の、大事な大事な出だしの第一条が、

「和を以って貴しと為す」という言葉で始まっているように、

日本人のアイデンティティーの根源には「話し合い至上主義」があります。

 

話し合いの結果がすべてであり、

話し合いの成果以外の規範を一切認めない思想が「わ」の考え方です。

 

 

この考え方は世界中探しても、日本以外にはないユニークな思想です。

現在の政治でも、そのほとんどが密室での話し合い、根回しで決まってしまうのは

このような日本人特有の「和」の思想が深く関わっているんですね。

 

 

ただこの「和」の難しいところは、

 

人前で戦うことを得意としていません。

討論すること、つまり「討」とは戦うことであり、

あくまでもおだやかな「話し合い」の場で決めましょうという思想ですから、

和を乱すものに対して、容赦なく外にはじき出す、言うなれば村八分的な発想があります。

 

 

どうしてこのような発想になるかというと、

「わ」とは「環」という1つの集団の中での協調を意味しているのですが、

所属する「環」が異なる同志が殴り合いをしても「わ」は乱れない、という考え方からきているんですね。

 

和を乱さない=怨念が発生しないように努める、というように、

日本は古来より、怨念思想があり、「和」と「怨念」とは切っても切り離せない歴史がありますが、

それについてはまた別に機会にゆずりたいと思います。

 

 

まぁ、つまるところ、日本はアイデンティティーの根源に

鎖国的な要素を持っている民族、ということなんです。

 

 

それが良いのか悪いのかは、置かれた環境によって違ってきますから

その是非については、ここでは述べませんが、

 

 

多くの移民の受け入れの結果、彼らがより良い暮らしをするようになってきたら

日本人のアイデンティティーがどのようになっていくのかは、とても興味深いところです。

 

 

当然ながら諸外国にはこのような発想はあまりありませんから、

移民を受け入れて、調和を保ちながら上手くやっていくためには、

私たち日本人の「和」の考え方も進化?させていく必要があると思います。

 

 

移民の受け入れに対しては、本当に多くの問題があります。

しかしそれを対岸の火事として捉えてはいけません。

 

 

自分自身をより磨き

自分自身の存在価値を高める

もうそんな時代が目の前に差し迫っていると

つくづく思います。

 

 

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